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2012/03/05 update
職人の技と繊細なデザインが創りだす、新しい「和」のかたち
愛知県瀬戸市といえば、やきものの町。
「せともの」の語源であるこの町は、陶磁器の産地として1000余年の歴史を持ち、今も市内には窯元をはじめ、生産に関わるさまざまな工場や工房が集まっている。
今回訪問した株式会社エム・エム・ヨシハシは、型の製造技術を生かした陶磁器の企画・開発・販売などを行っている会社。
駅前の瀬戸蔵ミュージアム
自社ブランド「HORITSUKE」を運営するなど、陶磁器の原型職人による繊細な模様彫りの技を継承しながら新しいものづくりに挑戦しているのは、エム・エム・ヨシハシ3代目でもある開発マネージャーの吉橋賢一さん。
「あ、僕の撮影もするんですか?じゃあもっといいカッコしておけばよかったなぁ。」
人懐こい笑顔には気さくで飾らない人柄が良く表れていて、話しをしていると、なんだかホッコリしてしまう。そんな素朴な雰囲気が印象的。
型づくりの技術を残し、生かす、オリジナル商品への挑戦
「うちは『型屋』です。」と言う吉橋さん。
「瀬戸のやきものづくりは昔から生産工程を分業して、それぞれを専門の職人が担っているんです。うちは代々、陶磁器の型を作る仕事(製型)をしてきました。」
今から50年以上前に吉橋さんの祖父が開業。その後父親に代替わりし、和洋食器に加え自動車部品や工業用の石膏型を製造してきたという。各メーカーから依頼されて型を作る、いわゆる受注生産だ。
「昔はそれで十分やっていけたんですが、海外から安価な陶磁器が入ってきたり、自動車部品業界では石膏型を使用しない製造方法が主流になってきたりと、時代の流れとともに徐々に減産傾向になって…。4年程前、ついに自動車部品関係の仕事がなくなったんです。」
地場の陶磁器産業も近年は低迷が続いている。手頃な大量生産品を多く作ってきたこの地方のメーカーも、価格では海外製品に勝てない。窯元からの受注だけに頼るのではなく、自ら販路を開拓しなければ。
「だったら自分たちで商品を開発して、自分たちで型を作り、窯元さんに焼いてもらおうと、3年前にオリジナル商品の開発を始めました。」
盃の型
「今までは仕事も情報も、窯元さんからもらうものだったんです。受け身だったんですね。でもそれでは時代に流されて、どんどん衰退していってしまうんじゃないかと。先人達が今まで積み上げてきた型製造の高い技術を残すためにも、それを生かすためにも、自分たちで商品を作ることにしたんです。」
一つひとつ丁寧に。手間をかけたものづくり
陶磁器の型は、まず手作業で原型を作り、その周りを石膏で固めて型を作る。その石膏型が陶磁器を成形する型になるらしい。
実際どんなものか、わかりやすい例があるというので見せていただいた。
「これはHORITSUKEの"魚偏漢字湯呑"という商品の原型で、これがその型です。作り方がわかるように少し加工していますけど。」
※写真左が原型、右が型(の一部)。奥が実際の商品"魚偏漢字湯呑"。
うわっ!細かい!・・・思わず見入ってしまった。
「こうやって原型に、模様を一つひとつ手で彫込んでいくんですよ。この場合は、魚偏の漢字を原型にぐるっと一周彫込んで型をとる。そうすると、彫込んだ模様がこうやって凸で出てくるんです。」
すごい!こんなに見事に再現されるものなんですね。
「ね。意外とできちゃいましたね(笑)。正直、僕もやってみるまで不安だったんです。こんなに細かい模様は経験がなかったから。」
経験がなかったのは吉橋さんだけじゃない。手のかかる彫りの細工を施したり、その模様をブランドにするなんて今まで誰も考えなかったのだから。
「だからこそ、やる価値があると思いました。原型に模様や細工を施すことができる型屋だからこそ、この技術で陶磁器の新しい魅力を伝えられるんじゃないかなと思ったんです。」
HORITSUKEには、漢字のほかにも十草や網、唐草など古くから陶磁器の上絵に使われてきた模様が、彫り柄としてデザインされている。見慣れたはずの模様なのに、なぜかどれも新鮮で、とても洗練されていて美しい。
それは細かな細工だけでなく、陰影や透け感を表現する器の厚み、焼成方法、釉薬の濃度など、何度も窯元に通い試作を繰り返し、一つひとつ手間と時間をかけて作り出しているからなのだ。
蛸唐草模様と菊唐草模様の湯呑
ものづくりを支える現場
エム・エム・ヨシハシには、吉橋さん以外に3人の職人がいる。父親の宏一さんと、村瀬一幸さんと江尻照美さん。
その職人さん達が働く、ものづくりの現場を見学させてもらった。
ここ工房は、ろくろを使ったり石膏を削り出して原型を作るほか、素焼きの細かな仕上げを行うところ。棚にはさまざまな形状の原型が並んでいた。ちなみに陶磁器は焼くと縮むので、原型は完成品より若干大きい。
続いて、型を作る工場へ。
左が原型。右が完成品。
ベテラン職人の村瀬さん(写真左)と江尻さん(写真右)さんが、熟練の技と慣れた手つきで次々とケース型と呼ばれる量産用の使用型を作っていた。
「賢ちゃん(賢一さん)が子どもの頃からやっとるで、もう25年くらい経つかなぁ。あ〜写真かね、恥ずかしいで顔はあんまり写らんようにしてな〜。」
歴史を引き継ぎ未来へつなぐ、技の伝承
型屋の技術がなくなると、陶磁器は作れない。
やきものの町に生まれた型職人として、この技術を守り伝えなければならないのだと、吉橋さんは言う。
「生産の分業化をしてきたことで、この町にはそれぞれの分野に特化した優れた職人さんがたくさんいます。ただ、高齢化してきて年々人数が減ってきているんですね。今、市内には50軒くらいの型屋があるんですけれども、ほとんどが60代、70代です。」
残念なことに、後継者の数も少ないのが現状だとか。
「理由はいろいろあると思いますけど、せともの=量産品というイメージも後継者不足の一つの要因だと思います。だから僕はそのイメージを変えたい。一つひとつ丁寧に、手間をかけて作るせとものもあるんだ、という流れを作りたいんです。」
陶磁器の新イメージ創出のため、吉橋さんは今までにない新しいジャンルの商品開発にも取り組んでいる。
陶磁器のアクセサリーだ。
「昨年のLINKS NAGOYAマーケットの企画で、アルテスタジオの山崎さんとコラボしたのがきっかけ。僕、以前から趣味で陶磁器のボタンを作っていたんですよ。で、その話をしたら「じゃあアクセサリーも作れるね!」ってことで、アクセサリーとウェディング用のギフトを作りました。すごい短期間で(笑)。」
これを機に山崎さんとのお付き合いが始まり、改めて企画を練りデザインを考え、現在、新作の試作段階真っ最中だという。
「6月頃、完成予定なので楽しみにしていてください。」
いいもの作りますよ、という自信に満ちた顔で話してくれた。
事務所でお話を伺っている時も、工場を見学させていただいている時も吉橋さんから強く感じたのは、この町に残る職人の技と、やきものの文化を未来へ伝えながら、その価値を上げていきたいという思い。
「陶磁器は日用品です。茶碗や湯呑はどんな家にもあるでしょう?でも、その存在ってほとんど意識されていない。器という用途を果たしていればそれでいい、ただの生活の道具。そうじゃなくて、生活に必要な道具だからこそ、いいものを使ってほしい。身の回りの物の存在一つひとつが、持つ人の心を豊かにするのだと僕は思います。」
たしかにそうだなぁ。毎日使う物だからこそ、とことんこだわってみるのもいいかもしれない。
お気に入りの器でいただく一杯は、また格別な味がするのだろう。
(ゆき)