クリエイティブ関連 企業情報 company
2012/01/31 update
デザインでイノベーションを興す
名古屋市内だけでも数多く存在するデザイン会社。中でも、昭和31年に創立されてから現在に至るまで50年以上の歴史を誇るのが、この中部デザイン研究所。
経営理念として掲げられているのは【ものづくり文化の発展】。今回、代表の渡辺俊生さんにお話を伺ったところ、終始登場したキーワードが「新しい価値観の開拓」だった。
老舗ともいえるデザイン会社が現代のデザイン市場において危惧していることとは。そして、今後の展望とは、いったいどんなものなのだろう。
経済的、社会的な価値観や意義を意識することで生まれる閃き
渡辺さんが代表取締役に就任したのは、平成17年。大学卒業後、松下電器産業にデザイナーとして10年勤めたのち独立した。
「メーカーに勤めると、そのメーカーの仕事だけになります。中小企業と一緒に、もっと社会的にニーズのある仕事をしてみたい。もっと広く社会を見てみたいという思いがあっての独立でした。」
独立後に手がけたデザインは、体温計、ふとん乾燥機、ヨーグルトのパッケージなど様々。ふとん乾燥機は1995年にグッドデザイン賞を受賞し、10年を越えるロングセラー商品となった。
このヨーグルト、お店に並んでいるのを見た覚えがある。
「ええ、今でも売っているのを見かけますよ。給食で出てきたりね。」と、思わず嬉しそうに顔がほころぶ渡辺さん。どの製品も、もちろん一筋縄で生まれてきたわけではない。デザイン集のページをめくりながら話す表情に、それぞれ想いが詰まっているのだと感じさせられる。
その後、中部デザイン研究所の前社長から誘いを受け、合併という形で入社。歴史ある会社と組んだことによって、クライアントとの繋がりが増え、より仕事の幅も広がった。
現在、請け負う仕事の約90%はメーカーのプロダクトデザイン。クライアントからの依頼は、家電、文房具、楽器、水栓など多岐に渡る。
渡辺さんがデザインを手掛け、
ロングセラーとなったふとん
乾燥機
「デザイン市場というのは、常に新しい価値観を創造して作っていかないと広がらない。そして、その広がりが大きくなるにつれて、従来のやり方や価値はどんどん廃れていくのではないかと思っています。」
大量生産の産業社会において要となるのは、時代が今求めているデザインと、その製品が暮らしの中でどう在るべきかを先取って察する嗅覚だ。
「どんな業種もひとつに絞らずいろんな事を発信して、トライする多様性が必要ですよ。今の時代、待っているだけでは仕事もきません。経済的、社会的な価値観や意義を常に意識していくことによってなにか閃いたりするものです。」
デザインは、その時代や世相によって変わりゆく。あらゆる分野で省エネルギーが重視されている昨今では、デザインも「エコ化」が基本姿勢ではないかと渡辺さんは話す。
乾きにくく、芯の交換が可能。
寿命の伸長を考慮し
「エコ商品ねっと」に
掲載されたマーカー
伝統の技×現代のライフスタイル
業務と平行して、中部デザイン研究所が主体となり運営しているプロジェクト『名古屋嫁入道具』。
地域で優れている伝統産業を、現代のライフスタイルに合う形に変えて「新しい価値」を発信する。例えば桐ダンス。機能性は優れているのに、和室が減ってきているため、現在は需要が少なくなってしまった。それを洋間にも合うようにアレンジし、提供するという試み。名古屋市もこの企画に賛同している。
陶器、木桶、漆、絞り生地、薪ストーブ・・・各工芸品のクリエイターを募り、WEBショップを開設した。
(※2012年5月までの期間限定で、ナディアパーク・デザインセンタービル4F「クリエイターズショップLOOP」に出店中)
「日本は元来、工芸職人の歴史や技能、技術力が分厚いですから。そこに、現代の生活シーンを彩るような新しいデザインと、地域的な特性も打ち出していけたら別の切り口ができる。それでムーブメントが派生すれば非常にいいと思うし。
大事なことは、独りよがりじゃなくて本質的にそれが社会に役立っているか。ちゃんと自分の住んでいる地域とリンクしながらやれているかどうかじゃないでしょうか。」
商品のいくつかを見てみると、なるほど。若い人でも違和感なく愛用できるかわいいデザインの雑貨や、おしゃれな装飾品がたくさん並んでいた。
表面的なムーブメントだけではすぐに倒れてしまう。しっかりサポートしていくつもりで、今後もっと動きのあるものにしようと考えているプロジェクトだそうだ。
名古屋嫁入道具の商品は
HPから購入・注文できる。
http://www.yomeiridogu.com/
同じ条件の中で、各世代の価値観を
中部デザイン研究所のデザイナーは現在4名。以前は20代から70代までの各世代がいたと聞いて驚いた。この年齢幅が、デザインをしていくうえで大きな強みになっているという。
「女性がかわいいと思うデザインはどうか、髭剃りはどうしたら使い勝手が良いか・・・同じ条件の中で、各世代の意見を出し合って相談できる環境は貴重だと思います。年齢差はあるけれど、いい意味で壁も感じません。本当、家族のような感覚なんですよ(笑)」
と話してくれたのは、紅一点の20代デザイナー・永田敦子さん。
「デザインで人の役に立ちたい、ただそれだけです。自分のデザインしたもので誰かが笑顔になってくれたら。」と目を輝かせる姿が印象的。このデザイン一家の「娘」のような、「妹」のような存在として、きっと愛されているんだろうなぁと感じる。
一緒にお話を聞かせてくれたのは、デザイナーの神山武之さん。
「この仕事をしていて嬉しかったことは、やはり自分がデザインした文房具などの商品が陳列棚に並んでいたこと。そこに売れた形跡があると、モチベーションがさらに上がりますね。一個減っているってだけでそれまでの苦労がなくなります。」
クライアントが多岐に渡るこの会社では、その度にあらゆる分野の勉強をしてから取り組まなければならない。「医療器具と言われれば、医療の勉強をします。」
そうして学ぶことが、知識となり自分の人生の豊かさに直結する。マンネリ化がなく、常に刺激的で新鮮な仕事ができるから、やりがいがある。と二人は口を揃えて言う。
神山さん、永田さんともに、この会社でデザイナーとして働けることを誇りに思っているようだ。
先代から培われてきたネットワークがあり、昔ながらの職人さんと仕事ができるのも老舗ならではの特権。そこに頼ってはいけないと思いつつも、名刺を出したとき「ああ、あそこで働いてるんだ」と言ってもらえるのは嬉しい。
デザインに国境はなく、競争は世界レベル
デザイナーを志している若い人に今後どんなことを望んでいるか、渡辺さんに聞いてみた。
「一番良くないと思うのは、デザイナーの視野が狭いこと。これからの人には、本質的にデザインとはなにかを常に考えていてほしいと思います。
デザインには国境がなく、競争は世界レベル。途上国が、テクノロジーだとか技術、科学で先進国に追いつくのは難しいけど、デザインはもっとインターナショナルだし伝統工芸のない国でも追いつける。
やるのであれば、今までのデザインの枠や概念を飛び越えた新しい価値を創造して、市場を盛り上げてほしいですね。」
かつて、松下電器産業の社長であった松下幸之助が「これからはデザインの時代だ」と、経済的な観点から産業にデザインを位置づけた。これが日本にデザインが導入された第一歩だというエピソードが残されている。
渡辺さん自身、プロダクトデザインの黎明期を開拓したデザイナーたちと接する事によりデザインの在り方を学んでいった。
「新しい価値観の開拓」。言葉にすれば簡単に聞こえるけれど、それは想像しがたいほど難しい。しかし、先人たちが築き上げてきたものづくりの精神を受け継ぎながら、次の世代は新天地を切り開いていかなければならない。
インタビューの最後、渡辺さんはこんなことを話してくれた。
「今は小さな点や、1本2本の線かもしれないけど、周囲が意識することによってそれが大きな円になったり、網となってネットワークになる。デザインも名古屋嫁入道具も、いつか有機的な線になると信じてやっていくしかないと思っています。」
こうしている今も、世界で、日本で、名古屋で、デザイナーひとりひとりの小さな点が生まれ続けているのだろう。それがデザイン・イノベーションとしてつながる線へと変わる時を待ち望みながら。
(若林)
渡辺さんの論文
「日本のものづくり
その精神背景を探る」は、
中部デザイン研究所の
HPで読むことができる。
スタッフ紹介
渡辺 俊生(代表取締役)
【職種】デザイナー/起業化コンサルタント
【入社年】1989年9月
【出身校】武蔵野美術大学
【血液型】A型
【趣味】Violin、音楽鑑賞
★ワタシPR★
社会、経済の見通しが立たない今、デザインの課題はサービス領域を広げ、あらゆる分野に
イノベーションを興すことと信じます。
神山 武之
【職種】プロダクトデザイナー
【入社年】1996年5月
【出身校】名古屋芸術大学
【血液型】A型
【特技・最近気になること】
名車や珍車、味のある車に興味があります。特技は鏡面仕上げ。
★ワタシPR★
文房具や生活用品のデザインから機構設計などオールラウンドデザイナーとして取り組んでいます。
マーカースケッチからCAD、発泡モデルにクレイ等あらゆる手法でアイデアを形にする。
永田 敦子
【職種】プロダクトデザイナー
【入社年】2007年4月
【出身校】名古屋芸術大学
【特技・最近気になること】
プラス思考なところ。かなりの方向音痴ですが、それも"毎回新しい道が通れる"と思って楽しんでいます。(みなさんいつもごめんなさい)
★ワタシPR★
「人の役にたちたい。」わたしにとってその手段が生活に息づくプロダクトデザイナーでした。
専門家でありながら軽やかに業界を渡り、ひとりでも多くのひとを笑顔にできますように。日々そう思って精進しています。